結局のところ、今日一日を全力で生きるしかないのだ。
こんにちは、じぇに〜(
neobjenny)です。先日、自分よりはるかに若い、音楽仲間の訃報に接することがありました。
とあるイベントで一緒にライブをやって、その打上げで話をしただけだったのに、それ以降もライブで会う度に、親しく挨拶をしてくれたり、「先輩!」と持ち上げてくれたり、プレイも凄かったけど、人柄も最高の人でした。
「いつか一緒にやりましょう!」とお互いに話をしてたのに、まさかこんなことになるとは、思いもよらず。
ライブ演奏中に倒れてそのまま…だったという話を聞き、演奏者冥利に尽きるという人もいたけれど、もう彼のプレイが聞けない残念感は拭えない。
思い起こせば、そういう話は実は結構自分の周りにあって。亡くなってしまった同級生もいるし、若くして病に倒れた生徒もいたし。(若かりし頃、ギターを教えてた時代が少しあったのです)
人はだれも、心のどこかで(自分だけは大丈夫)的な考えをするもの。「安心バイアス」とか「安全バイアス」とか呼ぶらしいですが、これは生き物の本能からくるそうで。
確かにそう思って無いと、怖くて飛行機にも乗れないし、船に乗って旅行なんてのもできないし。そもそも外へ出られなくなってしまう(苦笑)
でも、どう考えても「自分だけは大丈夫」なんてことはあり得ない。ある日突然、不慮の事故で、あるいは病気で…って可能性は誰にも同じだけあるはず。
そうじゃなくても人は必ずいつか死ぬのであって、竹内まりやさんも歌ってるとおり「いつかはだれでもこの星にさよなら」するのだ。
そう思うと「どうせいつか死ぬんだから、生きてたってしょうがない」と考えることもできるけど、せっかく生まれたんだから「どうせいつか死ぬんだから、思うように生きた方が良くね?」と考えたい。
思い起こせば10数年前、大切な家族がそういう状態になったときから、自分の中でそういう考え方が強くなって、結果アーリーリタイヤという行動に繋がったんだろうな。
とにかく、神様にいつ呼ばれるかは誰にもわからないのだから、そうなると、大切にすべきなのは「今 どうするか?」
やりたいことはやり、会いたい人には会う。
過ぎてしまった過去に悩んだり、来るかどうかもわからない未来を心配したりすることは無意味。
大切なのは「今、ここ」ってよく言われるけど、結局のところ、何が起きても納得できるには、「今日一日」を悔いなく過ごすことに全力を注ぐことしか無いのだということを、彼の訃報に接してあらためて思った次第。
大切なことを思い出させてくれた彼に感謝するとともに、心から冥福を祈りたいと思います。彼の刻むビートの上でギター弾きたかったなぁ。