時間があるからと言ってやりたいことが出来るわけではない 〜 平成最後の日に思うこと
こんにちは、じぇに〜です。
平成最後の日です。今日はこれが枕詞ですから、何をするにも最初に口にするのが良いでしょう(笑)同様に明日は令和最初の…
それは置いておいて。
今日でアーリーリタイアしてまるっと2年経ちました。そんな節目に元号が変わるというのも何か不思議な縁を感じます。
平成最後の日に、というよりフリーになって2年経って、
時間があればやりたいことがやれるわけではない
ということを改めて感じています。
リタイアしたいと思った大きな理由は「やりたくないことをする時間を持ちたくない」=「やりたいことだけやっていきたい」ということでした。
ギター弾きたい、写真撮りに行きたい、本読みたい 等々、あぁもっと時間があればやれるのになぁと思ってました。
2年経ってどうなった?と思い返してみると
ギター? 弾けないフレーズは相変わらず弾けません。
写真? 確かにカメラは増えたけどね(爆)
読書? 積読本は減ったんですか?
ってな具合です。
確かに時間はできました。何時に起きるのも、何時に寝るのも自由。起きてから何をするのかも自由。やろうがやるまいが、誰かに叱られることも無い。
なのに、なぜ出来てないのか?
わかっています。ついつい他のことをしてしまうから です。
この「他のこと」というのは「手っ取り早くやれてしまうこと」。
「今やらなくても良い…」というのをアタマに付けた方がよいでしょうか。
Facebook眺めたり、Twitterスクロールしたり、ネットサーフィン(ってまだ言うのか?)したり。
ついつい、してしまうんです。人間は弱い。
ひょっとしたら今やれていることは、勤めていた時でも出来ていたぐらいのレベル、内容かもしれません。時間が無いなら無いなりで、「本当に」やりたいことなら、なんとか強引にでもやりきっていた気がします。
ならば、どうしたらやれるようになるのか? という問いかけには、山のような自己啓発本が書店に並んでいるのでそちらを参照くださいってことなんですが、その本を読むためにはどうしたらよいのか?とこりゃまた堂々巡りみたいな話になるな(笑)
明日、令和からのフリー3年目に臨むにあたってまずやれることは、
- そういう「誘惑要因」を身近に置かないこと(ブログ書くならカフェで書くとか)
- やりたいことを小さな目標に細分化してタスクリストに書き出す
かな。
こんな本も読んだのだし。
ということを思った平成最後の日でした。